保守とネトウヨの近現代史

 

保守とネトウヨの近現代史

保守とネトウヨの近現代史

 

 

駄文である。本書で取り上げられている題材がしょうもないものなのでそうなるほかない。著者のポジショントークでもある。しかししょうがない。そのような言論空間の中で相対的にそうならざるえない。私が倉山満やくららを好んでいるのは彼には本筋があるからだ。学問に立脚している。言論の一貫性を重んじてる。彼なりの信念は良いものだと思える。

「「どうなるか」ではなく「どうするか」だ」と倉山はよく言っている。

予想するくらいなら行動しろということだろうか。教養がなければ「どうなるか」も「どうするか」もわかりようがない。だから学ばなければならない。実際に行動に移せ、政治運動しろ、という意味だと思っていたが、二つの観点から教養を身に着けろという意味であったと今理解した。