拒絶反応と被害妄想のシナジーの中にサティを入れる

妄想や空想と、被害妄想の区別はついているつもりだったが、実はそうでもないのでは、と。
妄想や空想にサティ(気づき)を入れるのは、意識的にやればできないこともない。
肉体に拒絶反応が出てくるような局面では、被害妄想と理性が混濁しているので、
サティを入れ、思考を止めに入るのは必要な思考を止めている可能性もある。
被害妄想的な自動思考と理性の区別は実は難しい。
しかしながら肉体反応と被害妄想のシナジーが増大する局面にサティを入れ、ストップをかけたい。
自動思考を止めるためには、分析し、気づくきっかけとなるパターンマッチをすることが重要だ。
自動思考を追い詰められている弱った状態のリソースでもパターンマッチ可能なサイズにスライスする。
そのような計算にリソースを集中させていること自体が自動思考からリソースを奪い行為となりうる。
私は、それを理性と認知しているが、これもまた、肉体反応を助長させるリアクションになっているのではないかとも思う。
結果的に理性が被害妄想的な振る舞いをしてしまっている。
理性もまた、自動思考のひとつだ。
自動思考の内容に関わらず、自動思考そのものが被害を招いているとするならば、
盲目的にサティを入れねばならぬとなると気が滅入る。
良い空想も、悪い妄想もすべて止めろと言う話はつらい。
しかし、みじめな人生を送っている身であるので現実逃避の妄想量が多い。
これこそが私の豊かさであると胸を張って言える(言えない)
そこを削り取るって話になるので、はたして、これまた、どうして、こうなった。
現実逃避で鍛えられた妄想力が、自動的に被害妄想へと反転する。
ここを、ここだけを、止めればいいだけの話。無理ですね。
分け隔てるサティを必要としている。