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blog 俺
ダンプといえばData::Dumperかトラックかっていう辺りで生きている今日このごろです。このごろとはここ10年を指しています。とはいえ今日はここ1,2週間くらいの話をしたいと思います。お終い。
さて、仕事やめたいみが過去最高に高まっている。~みってもう死語なん?全然見かけんくなったんだがアンテナの方向性がだいぶ変わったからだろうか。つまり、仕事辞めたい。まじでやめたい。数日前に辞めると決断した。はずなんだが、そのはずなんだが、そのはず~~。どういうことだってばよ。はっきりしてるんだよな、ここのあたりでコンフリクトが起こる理由は。「辞めたいのに辞める勇気がない」
- 今の仕事は家業である
- 今の仕事以外の他の仕事をしたことがない
- 持病があり、今の仕事を続けてもジリ貧
- 持病の性質上、転職してもジリ貧
- 社長である父親に対して生理的な嫌悪感が抑えきれない今日このごろ
- このごろとはここ10年を指しています
- しかし、持病があり何もできなかった自分をここまで引っ張り出してくれたのは間違いなく父のおかげである
- 心の底から、感謝し尊敬してる
- 同時に心の底から、軽蔑嫌悪してる
- 暗黒期時代のトラウマによるもの
- 私がいないと父の仕事はなりたたないだろう
- とはいえ、どうにでもなりそうな気はする
- 確かなスキルがある人なので従業員が減ったところで生産性は落ちるだろうが柔軟性が高い仕事のはず
箇条書きにするいみあるのかこれ。余計なことばかり書いて。
- 問題は
- 私の学歴は空欄で埋め尽くされていること
- 持病により体力が非常に低いこと
- 仕事を辞めるにあたって「仕事を辞める」という会話を両親とかわさなければならないこと
- 過去のトラウマにより私は両親に対して心を深く閉ざしている
- それにふれるときに自動発生する両親に対する敵意嫌悪などを自己嫌悪している
- 自閉している私を両親は受け入れてくれているのでそれに対する感謝敬意が深くある
- 嫌悪は本能により
- 敬意は理性による
- 口に出せないありがとうで相殺しなければならない非礼がある
- そのような無礼は本当にあったのだろうか?持病による認知の歪みでは?
- という持病による認知の歪み
- 最近症状が重い
- 仕事やめたいみも症状なのだろうが、同時にありありとした理性的結論としてれっきとして存在する
- はずなんだが、そのはずなんだが、そのはず~~
- 再帰
持病が育てた理性として行き過ぎた相対主義が根付いていて、そのせいで出る杭を自ら叩こうとしてしまう。人生の岐路をこの辺としようよたのむからさ。