日記が復旧したのだから何か書けよと思うところではある。何かを説明したいがための言語化としての日記ではない。自分の趣味嗜好思考の見える化として自分のためにやっている。ログだね。たまにまとまって思考っぽいことも書くが、多くは日々の出来事の羅列である。他の人の日記ではそこに言語化が発生するのかと思うような文章がある。自分では思いつかないことを考えているのだなと感じる。そのような日記を見ると自分も繊細な感覚の言語化をしてみたいと思う反面、やってみるとめんどくさいとなる。途中から言葉が一人歩きしててなんだこれになりやすい。それは自分の言語可能力の低さからくる問題ではあるが、現状言語化の粒度を上げると疲れる。それが楽しい時も多いのだが日々の生活の中に差し込んでいく娯楽の中では優先度は低いので、とりあえず日記書かないとという感じでは、一日を振り返った時に頭の中で思案したことより、実際に起きた体で感じた出来事の方が真っ先に思い出されそれが日記に記録される。僕の記憶力では思考は使い捨てのその場限りの気の紛らわしくらいにしかならないことが多い。しかし、それを忘れないうちにメモできると詩や短歌の材料になる。自分の身に物理的に起こったことよりも、自分の頭の中で起こったこと思ったことを詩にしたい。1日の終わりに日記を書くというタイミングでは詩的な思考はなかなか発生しずらい。リラックス時よりもある程度のストレスを受けた後や運動の後などが詩的な思考に陥りやすいようだ。日記に詩的な文章を求めたいと思ったものの過去を振り返れば書くタイミングがマッチしていないとわかる。
フォーカスがズレた。詩的な日記でなくていい。言語化の粒度や発動するタイミングなどをもう少し持ちたいといった話なのだ。これもリラックスした頭を使いたくないと出癖で書く時にはなかなかやれないのだろう。と言うのもあるが、そもそも日中からそんなことは思いついていない。書きたい時に思いつかないのではなく、そもそも思いつくためのアンテナに引っかかってないのだ。そのアンテナの強化はどのようにすれば良いのか。わからない。
上記は昼休みに書いたものである。家に帰ってきたひたすらティアキンしていただけである。日記書けない。書くことの優先度低めだ。