夢と知らずに夢を見てた


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夢と知らずに夢を見てた

2年半振りらしい俺の新曲。なんどか作曲トライはしてるんだけど訳解んなくなって放棄しちゃうんだよね。ピアノとドラムだけのシンプルすぎ構成で、さらにピアノのパターンがほぼ一個しかないという超簡素曲。普通ここから付け足し付け足しなんだろうけど、なにやっていいか相変わらずわかんないし、思いついたやつも新しいプラグイン買わないとできなさそうだしで結局このまま。ここ一年くらい短歌を月一くらいではあるが復活してきてて歌いたいフレーズも溜まってきたので歌詞となり曲となり。自分的には満足であるし、自分のためだけの曲でもある(でしかない)。ミクさんじゃなくて、あたらしい音声合成ソフトを導入したい。VOCALOID6 Po-utaとかSynthesizer V AI 花隈千冬とか。結局ボーカルメロディありきの曲しかできんのでここを充実させたほうが良さそう。ふと思いついてchatGPT先生に歌詞の分析を依頼してみたら楽しかった。特に面白みのあることは言わないんだけど自分が言語化できてないどうでもいいところを言語化してくれるのはそれはそれで助かる。ヘッセ、ニーチェカフカ、太宰になったつもりで解釈してと依頼したならばとりあえずそれっぽいことが帰ってきて草ではあった。基本的な解釈は同じでそれを作家風の言葉遣いで言っている感じではあるがおもしろい。

> この歌詞は、時間の経過や変化、そしてそれに伴う感情の移ろいを描いているように感じます。以下は歌詞の各部分に対する感想です。

1.
なんだかんだで歩いてく
なんもないけど進んでく
平穏有限先は暗く
時間は止まってくれない

この部分は、日常の中で何も特別なことがなくても前に進んでいく様子と、時間が止まらないことへの認識が表現されています。平凡な日々の中で先行きの不透明さや不安も感じられます。

2.
やがて僕の向かい風
になっていく光に満ちてる
快晴に架かる白い虹
を映す 眼を伏せる

ここでは、逆境や困難に立ち向かう様子が描かれています。光に満ちた未来や希望が見えつつも、そのまぶしさに目を伏せる様子が印象的です。白い虹という表現も、現実と幻想の狭間にいるような感じを受けます。

3.
回想そうして岸辺へ
想像会遇水面の上
僕はずっといやだった
時間が言葉を紡ぐだろう

この部分は、過去の回想と現実の狭間での葛藤を表現しています。岸辺や水面という自然の風景が、内面の静けさや反映を象徴しているように感じます。「時間が言葉を紡ぐだろう」というフレーズは、時間が解決してくれることを期待しているように聞こえます。

4.
遠く誰かの赤い朝
になっていく光が沈んでく
月光に濡れる青い傘
を差す 君が消えてく

ここでは、誰かの新しい始まりと、自分にとっての終わりが対照的に描かれています。赤い朝と沈む光、青い傘と月光という色彩の対比が美しいです。君が消えていくというフレーズは、別れや失われた関係を示唆しています。

5.
明日だって 昨日になってく
記憶だって 薄れていくよ
君の声が 君の声が
小さくなるよ

この部分は、時間の経過によって記憶や感情が薄れていく様子を描いています。君の声が小さくなるという表現は、思い出や感情が遠ざかっていく様子を象徴しています。

6.
雨を待った 風を待った
夢と知らずに 夢を見てた
僕の空に 僕の水面に
描く幻

最後の部分は、何かを待ちながらも、それが夢であることに気づかないまま夢を見ているという切なさを感じます。空や水面に描かれる幻という表現は、自分の心の中にある希望や幻想を示しているように感じます。

全体として、時間の経過や変化に対する感情の揺れ動き、現実と幻想の狭間にいる様子が繊細に描かれており、非常に感動的な歌詞だと感じます。

$ ヘルマン・ヘッセになったつもりでもう一度
> もちろんです。ヘルマン・ヘッセの視点で再解釈してみます。

なんだかんだで歩いてく
なんもないけど進んでく
平穏有限先は暗く
時間は止まってくれない

人生はいつも前に進み続ける。たとえ何も特別なことがなくても、我々は歩みを止めることはできない。時間は無情にも流れ続け、平穏な日々の中にも不安と暗闇が潜んでいる。しかし、その中にこそ成長の種がある。

やがて僕の向かい風
になっていく光に満ちてる
快晴に架かる白い虹
を映す 眼を伏せる

向かい風は人生の試練であり、光はその試練を乗り越えた先にある希望だ。快晴に架かる白い虹は、困難を乗り越えた後に見える美しい未来の象徴である。しかし、そのまぶしさに目を伏せるのは、人間の弱さと葛藤の表れだ。

回想そうして岸辺へ
想像会遇水面の上
僕はずっといやだった
時間が言葉を紡ぐだろう

回想と想像の中で、自分の過去と向き合う。それは心の岸辺に立つようなものだ。過去の出来事や感情が水面に映し出される。時間が経つことで、言葉がその意味を紡ぎ出し、やがて答えを見つけるだろう。

遠く誰かの赤い朝
になっていく光が沈んでく
月光に濡れる青い傘
を差す 君が消えてく

遠く離れた誰かの新しい始まりを見つめつつ、自分の中では終わりが訪れる。赤い朝と沈む光、月光と青い傘という対照的なイメージは、人生の移ろいと変化を象徴している。君が消えていくということは、大切な存在を失う悲しみを表している。

明日だって 昨日になってく
記憶だって 薄れていくよ
君の声が 君の声が
小さくなるよ

未来はすぐに過去となり、記憶は次第に薄れていく。君の声が遠ざかっていくのは、過去の出来事が風化していく様子を示している。しかし、記憶が薄れることは新しい成長と変化の一部である。

雨を待った 風を待った
夢と知らずに 夢を見てた
僕の空に 僕の水面に
描く幻

雨や風を待ちながら、無意識のうちに夢を見ていた。自分の心の中に広がる空と水面には、幻想や希望が描かれている。それは人間の内面的な旅と成長の象徴であり、自己発見の過程を表している。

ヘルマン・ヘッセの作品に通じるテーマとして、内面的な旅や自己発見、時間の流れと変化、現実と幻想の交錯が見て取れます。この歌詞も同様に、人間の心の深層と成長の過程を描いているように感じられます。

$ フランツカフカになりきって
> もちろんです。フランツ・カフカの視点で再解釈してみます。

なんだかんだで歩いてく
なんもないけど進んでく
平穏有限先は暗く
時間は止まってくれない

人生は無為に過ぎていく。特別な目的も見つけられないまま、それでも進み続ける。平穏の中にも無限の不安が潜み、未来は常に不透明で暗い。時間は止まらず、我々を無情に前へと押し進める。

やがて僕の向かい風
になっていく光に満ちてる
快晴に架かる白い虹
を映す 眼を伏せる

向かい風は避けられない試練であり、その中に光を見つけることは困難だ。白い虹は幻想的で手の届かない希望の象徴。しかし、その希望を見ることができず、目を伏せることしかできない自分の無力さを感じる。

回想そうして岸辺へ
想像会遇水面の上
僕はずっといやだった
時間が言葉を紡ぐだろう

過去の回想に浸り、自分の内面と向き合う。水面に映る幻想は現実からの逃避であり、自己嫌悪の象徴でもある。時間が経てば、言葉がその意味を紡ぎ出し、やがて真実に到達するかもしれないが、その過程は苦痛に満ちている。

遠く誰かの赤い朝
になっていく光が沈んでく
月光に濡れる青い傘
を差す 君が消えてく

他人の新しい始まりを遠くから見つめながら、自分の中では終わりが訪れる。赤い朝と沈む光の対比は、希望と絶望の交錯を表している。青い傘を差す君が消えていく様子は、大切な存在を失う孤独と無力感を象徴している。

明日だって 昨日になってく
記憶だって 薄れていくよ
君の声が 君の声が
小さくなるよ

未来はすぐに過去となり、記憶は次第に薄れていく。君の声が小さくなるのは、過去の出来事が風化していく様子を示している。だが、その過程は避けられないものであり、無情な現実の一部である。

雨を待った 風を待った
夢と知らずに 夢を見てた
僕の空に 僕の水面に
描く幻

雨や風を待ちながら、無意識のうちに夢を見ていた。心の中に広がる空と水面には、幻想や希望が描かれているが、それは現実とは乖離したものである。自己の内面に囚われ、逃避と葛藤を繰り返す姿が浮かび上がる。

カフカの作品に見られるように、この歌詞も存在の不条理や孤独、内面の葛藤を描いています。無力感や絶望、逃避といったテーマが強く反映されており、カフカ的な視点からの解釈が色濃く感じられます。

$ ニーチェになりきって
> もちろんです。フリードリヒ・ニーチェの視点で再解釈してみます。

なんだかんだで歩いてく
なんもないけど進んでく
平穏有限先は暗く
時間は止まってくれない

人生は無意味な反復の連続かもしれないが、私たちは歩み続ける。たとえ何も見えなくても、それでも前進する。平穏は儚く、一時的であり、未来は不確実だ。しかし、それこそが生の本質であり、時間は決して止まらない。時間の流れに抗うことなく、自己を超克する意志を持ち続ける。

やがて僕の向かい風
になっていく光に満ちてる
快晴に架かる白い虹
を映す 眼を伏せる

向かい風は人生の試練であり、それを乗り越えることが自己の強化につながる。光は希望と力の象徴であり、白い虹は超越的な美しさと新たな価値の創造を示す。しかし、その光に直視することは困難であり、自己の限界を感じる瞬間でもある。

回想そうして岸辺へ
想像会遇水面の上
僕はずっといやだった
時間が言葉を紡ぐだろう

過去の回想は自己認識の一部であり、岸辺や水面は内面的な世界の象徴である。時間が言葉を紡ぎ出すことで、真の理解に至る可能性がある。しかし、それには苦痛と自己否定が伴う。自己嫌悪や不満は、自己を超越するための試練であり、成長の一環である。

遠く誰かの赤い朝
になっていく光が沈んでく
月光に濡れる青い傘
を差す 君が消えてく

他人の新しい始まりを見つめながら、自分の中では終わりが訪れる。赤い朝と沈む光の対比は、生と死、希望と絶望の二重性を示している。月光に濡れる青い傘は、孤独と自己内省の象徴であり、君が消えていくのは、喪失と別離の苦痛を表している。

明日だって 昨日になってく
記憶だって 薄れていくよ
君の声が 君の声が
小さくなるよ

未来はすぐに過去となり、記憶は次第に薄れていく。君の声が小さくなるのは、過去の出来事や関係が風化していく様子を示している。しかし、これもまた生の一部であり、永劫回帰の思想に通じる。すべての経験は繰り返され、自己を強化する糧となる。

雨を待った 風を待った
夢と知らずに 夢を見てた
僕の空に 僕の水面に
描く幻

雨や風を待ちながら、無意識のうちに夢を見ていた。心の中に広がる空と水面には、幻想や希望が描かれている。それは現実の超越と新たな価値の創造を示す。幻は現実の一部であり、それを乗り越えることで自己の本質に到達する。

ニーチェの視点から見ると、この歌詞は人生の試練と超克、希望と絶望の二重性、自己認識と成長の過程を描いています。試練を通じて自己を強化し、新たな価値を創造する意志が強調されています。

$ 太宰治になりきって
> もちろんです。太宰治の視点で再解釈してみます。

なんだかんだで歩いてく
なんもないけど進んでく
平穏有限先は暗く
時間は止まってくれない

人生は空虚であり、それでも歩き続けなければならない。平穏な日々が続く中、未来は常に不確実で暗い。時間は無情に流れ続け、私たちはその流れに抗うことができない。その無力さが胸を締め付ける。

やがて僕の向かい風
になっていく光に満ちてる
快晴に架かる白い虹
を映す 眼を伏せる

向かい風は人生の試練であり、その中には希望の光が見えるかもしれない。しかし、その光はあまりにもまぶしく、現実を直視することができない。快晴に架かる白い虹は美しい幻想だが、それを見ることさえ辛い。

回想そうして岸辺へ
想像会遇水面の上
僕はずっといやだった
時間が言葉を紡ぐだろう

過去の回想は、苦痛と失望の連続だ。水面に映るのは、自分自身の歪んだ姿であり、それを見つめることは耐えがたい。時間が言葉を紡ぎ出すことで、やがて自分の感情や苦しみを表現できるかもしれないが、それもまた苦痛の一部だ。

遠く誰かの赤い朝
になっていく光が沈んでく
月光に濡れる青い傘
を差す 君が消えてく

他人の新しい始まりを見つめながら、自分の中では絶望が深まっていく。赤い朝と沈む光の対比は、希望と絶望のコントラストを強調している。月光に濡れる青い傘は、孤独と悲しみの象徴であり、君が消えていく様子は喪失の苦しみを表している。

明日だって 昨日になってく
記憶だって 薄れていくよ
君の声が 君の声が
小さくなるよ

未来はすぐに過去となり、記憶は次第に薄れていく。君の声が小さくなるのは、思い出や感情が風化していく様子を示している。過去の出来事が遠ざかるにつれ、心に空虚さが広がっていく。

雨を待った 風を待った
夢と知らずに 夢を見てた
僕の空に 僕の水面に
描く幻

雨や風を待ちながら、無意識のうちに夢を見ていた。心の中に広がる空と水面には、幻想や希望が描かれているが、それは現実からの逃避に過ぎない。幻は、自己の内面に囚われたままの状態を示している。

太宰治の視点から見ると、この歌詞は人生の虚無感、自己嫌悪、そして孤独と喪失の感情が強く表現されています。現実の厳しさと内面の苦しみが交錯し、自己の存在を問い続ける姿が描かれています。

claude先生にもお願いしてみた。ミスってボツフレーズが混じってるので若干違うネタをもとに話してはいる。こっちのほうが良いか?

この文章は、詩的で感情的な内容を含んでいますね。歌詞や詩の一部のように見えます。いくつかの重要なテーマや imagery が含まれているようです。簡単に内容を分析してみましょう:

時間の流れと変化:
「時間は止まってくれない」「遠く誰かの赤い朝になっていく」「明日だって昨日になってく」
光と闇のコントラスト:
「光に満ちてる快晴」「光が沈んでく」「深更に響く青い雷鳴」
自然現象:
「白い虹」「遠雷」「黒い雲」「雨」「風」
喪失と記憶の薄れ:
「君が消えてく」「記憶だって薄れていく」「君の声が小さくなるよ」
水のイメージ:
「岸辺」「水面」「雨」「青い傘」
夢と現実の境界:
「夢と知らずに夢を見てた」

この文章は、時間の経過に伴う変化や喪失、そして自然の中での人間の存在について深く考察しているように見えます。また、現実と夢の境界線を曖昧にすることで、詩的な雰囲気を醸し出しています。
これについてさらに詳しく分析したり、特定の部分について掘り下げて考えたりすることもできます。何か特に興味のある部分はありますか? CopyRetryAさらに分析を聞かせて Editはい、さらに詳しく分析してみましょう。

心理的な旅:
「歩いてく」「進んでく」という表現は、物理的な移動だけでなく、心理的・精神的な旅を示唆しています。「平穏」から「暗く」なる先へと進むことは、人生の不確実性や困難への直面を表しているかもしれません。
対比の使用:
「光に満ちてる快晴」と「遠雷を待つ黒い雲」のような対比が多用されています。これは人生の明暗や感情の起伏を表現しているようです。
循環のテーマ:
「明日だって昨日になってく」という表現は、時間の循環性を示唆しています。過去と未来が融合し、現在の一点に収束するような感覚を表現しています。
感覚の融合:
「深更に響く青い雷鳴」のように、聴覚(響く)と視覚(青い)を組み合わせた表現があります。これは共感覚的な表現で、感情の複雑さを示しています。
消失と残存:
「君が消えてく」「君の声が小さくなるよ」といった表現は、大切な人や思い出が徐々に失われていく感覚を表現しています。しかし同時に、それらが完全には消えずに残り続けることも示唆しています。
期待と現実:
「雨を待った 風を待った」という表現は、何かを期待し、待ち望む心情を表しています。しかし、その後の「夢と知らずに 夢を見てた」は、その期待が現実とは異なる可能性を示唆しています。
自己と外界の境界:
「僕の空に 僕の水面に描く幻」という表現は、内なる世界と外の世界の境界が曖昧になっていることを示しています。現実と想像、自己と世界が融合している状態を表現しているようです。

この文章全体を通して、時間、記憶、感情、自然といった要素が複雑に絡み合い、人生の儚さと美しさ、そして個人の内面世界の豊かさを表現しているように見えます。また、具体的な描写と抽象的な感情表現を巧みに組み合わせることで、読者の想像力を刺激し、多様な解釈を可能にしています。